このお話は、現在の千葉県印旛郡栄町にある竜角寺の起源にまつわる2つの逸話を現代風(?)にアレンジしたものです。
ひとつは、和銅2年(709年)にこの地に竜女が現れ、一晩のうちに立派な金堂や三重の塔を建てたというもの。もうひとつのエピソードは、天平3年(731年)の頃、この地方が大旱魃に見舞われたため、印旛沼に住む竜が身を呈して雨を降らせ、村人を助けたというもの。竜の体は三つに分かれ、そのうち二本の角を収めたのがこの竜角寺で、腹と尾が落ちたところにそれぞれ竜腹寺(印旛郡本埜村)と竜尾寺(八日市場市)が建てられたとされます。
当時の建造物はすでに失われていますが、竜角寺の塔の跡と本尊の薬師如来像、屋根の瓦の一部などは残っています。この薬師如来坐像は、関東地方に二体しかない白鳳時代の貴重な仏像として、国の重要文化財に指定されています。
竜角寺は雨乞い祈祷の寺として知られ、また三重の塔の礎にされていた石は、大雨や日照りのときもたまった水が増減しなかったといわれ、〝不増不滅の石〟と名付けられました。
印旛沼付近からはナウマンゾウの化石が出土していますので、寺に収められたという竜の角は、もしかしたら当時の人が見つけた古代ゾウの牙だったのかもしれません。
竜伝説にはいくつかバリエーションがあり、竜が化身したのは老人だったという説や、身の丈八尺を超える大男だったとの説もあります。一説では、沼に住んでいたのはこどもの竜で、身を犠牲にして雨を降らせたのはその親だったともいわれます。また、そっくりのエピソードは奈良県地方にもあるそうです。
本作では釈沖という地元出身の弟子のキャラを登場させましたが、日照りのときに雨乞いの経を唱えたのは、都から派遣された釈命上人という奥州の高僧で、実際に塔などを建立したのもこの人物だったようです。
茂吉も創作キャラですが、村人が汚れ物を沼に捨てたため、竜が怒って雨を降らせなかったという別の逸話があります。〝さくち穴〟の〝さくち〟はイナと同じくボラのこどもの意味です。
印旛沼周辺には、ほかにも竜にまつわる民話がいくつも伝えられています。印西市に伝わる「光堂の竜」というお話は、有名な彫刻師の手になる竜の尻尾があり、日光の竜が自分の尻尾に会いに来るため、秋になると田んぼにウネウネと竜の通った跡が残っている、というもの。また印旛村には、赤子とともに沼に身を投げて竜になった、お鶴という不幸な侍女の物語が語り継がれています。少し場所が離れていますが、木更津市には、東京湾に住む法螺貝が竜宮を訪ねる途中で印旛沼の大蛇と戦うという、なんとも面白い話があるそうです。
そんなわけで、印旛地方では昔から今に至るまで、竜は住民に愛される一種のマスコット的存在といっていいでしょう。ここでは本埜村と白井市にある竜のオブジェの写真を載せましたが、沼の南側にある佐倉市にも、竜神橋という橋から水を吐き出す竜のブロンズ像が置かれています。
参考資料については書籍、ホームページともリンクのページに掲載していますので、興味のある方はチェックしてみてください。
西洋の竜=ドラゴンは、乙女をさらい宝物に目がなく、最後は騎士に倒される完全な悪役ですし、王権のシンボルとされる中国の竜にもやや近寄りがたいところがあります。そこへいくと、日本の竜はとても庶民的といえるでしょう。全国各地に竜の字が入る地名がありますし、さまざまな民話の中に登場する馴染み深いキャラクターでもあります。昔の日本人にとって、竜は怒らせると大雨や洪水を引き起こす恐い相手でしたが、一方で作物を育む水や天候を司り、恵みをもたらすありがたい存在でもありました。当時の人たちは、暴れる川の水や黒雲の中に、確かに竜の姿を見ていたのでしょう。
身近な存在として描かれる竜もそうですが、タヌキやキツネ、イヌ、ネコ、サル、ツルなどなど、さまざまな動物が登場し、しかもニンゲンと対等の相手として扱われることが多いのが日本の昔話の特徴といえます。ヒトをだましたり変身することもある動物の、ある種の延長ともいえる妖怪も、日本に棲むものは比較的無害で、どこか愛嬌があったり哀愁が漂っていたりします。それは、洋の東西の価値観──西洋では自然を敵対するもの、あるいはニンゲンによって管理されるべきものとして、文明と対置させてきたのに対し、日本では自然を畏れ、敬う対象として捉え、動物たちや自然そのものとニンゲンとが身の丈を等しくする間柄にあったことが、大きく関係しているのではないかと考えられます。
残念ながら、日本の自然は急速に失われ、都市に住む現代の日本人にとって疎遠なものとなってしまいました。反省モードに入った西洋諸国よりむしろひどいありさまです。ダムでせき止められ、コンクリートで両岸をガチガチに固められた川や、大都市から排出される合成化合物入りの廃水が流れ込み、外来生物が闊歩する沼は、竜にとってはとても住めたものではないでしょう。野生の獣たちは、ニンゲンを化かす才を発揮する間もなく、害獣として虐げられ、水辺や梢で休む鳥たちまでも、「フンが汚い」「うるさい」といって追い払われるようになってしまいました。
〝荒ぶる神〟としての側面も含め、ありのままの自然を受け入れてきたはずなのに、自然や動物を不快なものとみなして切り離すようになってしまった今の日本人の姿を見たら、1300年前に人々を救った竜はきっと大いに悲しむことでしょう……。
印旛沼を取り巻く栄町、印旛村、本埜村には、時間を忘れて散策することのできる由緒ある、あるいは名もない旧い寺社や、目を楽しませてくれる豊かな緑がまだまだ多く残っています。1日歩けば20種類くらい野鳥の声や姿を見聞きできますし、キジがすぐ目の前を横断したり、イノシシやウサギの足跡も見かけます。ちょうどスタジオジブリの〝トトロの森〟のような、いかにも何かが棲んでいそうな里山の自然は、こどもたちにとってもコンピューターゲームでは味わえない魅力を備えたものに違いありません。交通の面では若干不便なところはあるものの、逆にそのことで、こうした自然や文化遺産をよりよい状態に保つことができたともいえるでしょう。千葉ニュータウンが近くにまで進出し、開発の波がひたひたと押し寄せてきてはいますが、地域振興を図るにしても、豊かな〝個性〟を損ねない形で進めてほしいと切に願ってやみません。
日本の地方民話には、純粋にストーリーとしてみてもおもしろいものが、きっとたくさん埋もれているはずです。そうした物語を発掘することは、現代人が失ってしまったもの──永い歴史の中で培われてきた日本の文化、上手な自然とのつきあい方を、もう一度見つめ直すきっかけを私たちに与えてくれるでしょう。またそのほうが、偉いヒトたちが口で説教するよりも、若い世代の心に直接届くのでないでしょうか。
印旛村には竜角寺と同じくらい歴史の旧い松虫寺というお寺があり、そこに「松虫姫と牛」という別の興味深い伝説が伝わっています。当分先になるかもしれませんが、できたらこの物語もネット絵本化してみたいなあと思っています。作者に画力さえあれば、本作ももっとマシな出来に仕上がったのですが・・。
小説やイラストなどの創作活動に携わっている方は、ご自分の住む地域の民話のリメイキングにぜひチャレンジしてみてください。